K-1K-1
K-1
コラム

【1998年4月の格闘技】マイク・ベルナルドが豪快KOで初の世界王者に、そして号泣

2020/04/18 23:04
 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。35回目は1998年4月9日に横浜アリーナで開催された『K-1 KINGS』から、マイク・ベルナルド(南アフリカ)が初めて世界タイトルを奪取した試合。  1995年3月に初来日したベルナルドは、その強力なパンチが生み出す豪快なKO劇と親しみやすいキャラクターで“ベルちゃん”の愛称で呼ばれ人気を博していた。  K-1グランプリでは、1995年準決勝敗退、1996年は決勝まで進出するも準優勝、1997年は準々決勝敗退となかなか王座へ手が届かなかったが、ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、アンディ・フグと共に“K-1四天王”と呼ばれ、“ワンマッチ最強”とも評されている。  そのベルナルドに今大会で用意されたのは「WAKO PRO世界ムエタイヘビー級タイトルマッチ」だった。無冠の帝王と呼ばれるベルナルドに何か箔を付けたかったのだろうか。とはいえ、当時のK-1でWKAやISKAなどのタイトルマッチがグランプリではないワンマッチ大会で行われるのは珍しくはなかった。  WAKOは1976年に発足されたアマチュアのキックボクシング団体で、正式名称はWorld Association of Kickboxing Organization。プロ部門は1991年に新設された。王者マイナーズはキックボクシングを始めて僅か3年半で王座に就いたという。  1R、マイナーズは左右ローを蹴っていく。ベルナルドがワンマッチ最強と呼ばれながらもトーナメントではなかなか勝てなかったのは、パンチ主体であるがゆえにローキックのディフェンスが甘かったからだ。そのため対戦相手は確実にローでダメージを与えていくのが定石だった。  マイナーズはジャブとロー、時折右ストレートと左フックも放つが、必ずローにつないでいく。するとベルナルドが右ローを蹴り始めた。左フックからの右ローも見せるなど、かなり強い右ローだ。1R終盤にはベルナルドがようやく左右フックを繰り出して、場内を沸かせる。  1Rはマイナーズがアグレッシブに攻め、ベルナルドは慎重に様子を見ていた。2Rに入ると、ベルナルドがマイナーズのローにパンチを合わせに行き、前に出て左右ストレートを打って行く。  マイナーズはベルナルドのスピードもある強打を警戒したか、ジャブとローで1Rよりも距離を取る。そこへベルナルドが踏み込んでの右ロー。マイナーズは大きくバランスを崩してスリップした。  しかし、右ローが効いているのは明らかで、マイナーズは左足を上げて意識しているのが分かる。そこへベルナルドが右フックで襲い掛かる。身体を丸めてブロックするマイナーズだったが、ベルナルドのジャブをかわして右オーバーハンドから返しの左フックを浴びてもんどりうってダウン。  立ち上がれる様子はなく、レフェリーは即座に試合をストップ。2R2分5秒、ベルナルドのKO勝ちとなった。それまでややダレ気味だった会場は総立ち。勝利を告げられたベルナルドはコーナーに駆け上がると歓喜の雄叫びをあげ、そして神様に祈りを捧げた。  場内が豪快なKO劇の興奮も冷めやらぬまま、新王者ベルナルドの腰にベルトが巻かれると、ベルナルドは嬉し泣き。よほど嬉しかったのか、涙はしばらく止まることはなかった。  ベルナルドは試合後のインタビューで「7歳の時にいつの日か必ず世界チャンピオンになると決意しました。今日、4月9日にやっと念願が達成できました」と、“世界”と名の付く王座に就くことが夢であり、その夢が叶ったと涙の理由を説明。日本語で「私は幸せです」と語った。
全文を読む

MAGAZINE

ゴング格闘技 NO.335
2024年11月22日発売
年末年始の主役たちを特集。UFC世界王座に挑む朝倉海、パントージャ独占インタビュー、大晦日・鈴木千裕vs.クレベル、井上直樹、久保優太。武尊、KANA。「武の世界」でプロハースカ、石井慧も
ブラジリアン柔術&総合格闘技専門店 ブルテリアブラジリアン柔術&総合格闘技専門店 ブルテリア