1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。33回目は1998年4月26日に横浜アリーナで開催された『SHOOT the SHOOTO』から、吉鷹弘(大阪ジム)の引退試合となったラモン・デッカー(オランダ)との激闘。
シュートボクシングをけん引してきた吉鷹が、何年も前から熱望していたデッカーとの戦いがシュートボクシングのビッグイベントで実現した。
デッカーはキックボクシングが盛んで数多くの名選手が生まれたオランダにおいて、最も世界中のファンに愛された名キックボクサー。驚異的な破壊力を誇るパンチを連打で放ち、“地獄の風車”と形容された。多くの世界タイトルを獲得したほか、ムエタイの本場タイでも活躍し、当時は外国人選手がランキングに入ることさえ困難だったムエタイ界で藤原敏男以来のタイトル挑戦者にも選ばれた。超一流ムエタイ選手たちとも多くの激闘を演じている。日本にも多くのファンがいた。
悲願であったデッカー戦を前に、吉鷹は「デッカー戦では足を使ったりせず、正面から打ち合いたい」と宣言。その言葉通り、吉鷹はデッカーに真っ向勝負を挑んだ。
アゴを蹴り上げる前蹴り、飛びヒザ蹴り、バックハンドブロー、そして切り札の右アッパー…12年間の格闘技人生で身に着けた全ての技を使う総力戦となった。
デッカーは試合前に右足首の手術を受けていて蹴りが使えないというハンディがあったが、吉鷹も右肋軟骨を前戦のシティサック戦の1Rで骨折して、この試合直前にくっついたというハンディがあり、共にベストコンディションではなかった。あとは魂と魂の勝負であったが、デッカーには吉鷹が何発技を繰り出そうとも、一発で帳消しにしてしまう強打があった。勝負を分ける点があったとすれば、その一点に尽きるだろう。
3Rにバックハンドブローを空振りしたところへ左フック、4Rに右ストレートをもらって2度ダウンした吉鷹は、最終5Rにボディを効かせてデッカーをめった打ちにする場面もあったが、奇跡はついに起こらなかった。
ジャッジ三者とも47-46での判定負けが告げられると、吉鷹は一度コーナーへ戻り、そしてマイクを握って引退宣言。30歳というまだ早い引退であったが、「デッカー戦が最後と決めていました。残念がられるうちに辞めた方がいいでしょう」と笑い、「燃え尽きることができました。現役に未練はありません」ときっぱりと答えた。