1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。30回目は1997年4月29日にマリンメッセ福岡で開催された『K-1 BRAVES』より、K-1屈指の名KOシーンと言われているレイ・セフォー(ニュージーランド)vsジェロム・レ・バンナ(フランス)。
バンナは1995年3月に初来日し、初出場となった『K-1 GRAND PRIX』でいきなり準優勝。アンディ・フグ、ミルコ・タイガー(後のミルコ・クロコップ)には敗れるも、1996年10月にはアーネスト・ホーストをKOする番狂わせをやってのけ、同年12月にはサム・グレコと引き分け、1997年2月にはフランスで古豪モーリス・スミスを破るなどあっという間にK-1トップ戦線に食い込んだ。
対するセフォーは「彼は僕の秘密兵器です」と石井和義館長のお墨付きで初参戦。1996年12月にK-1初参戦を果たすがホーストにTKO負け。1997年3月にピーター・マエストロビッチにTKO勝ちしてK-1初勝利をあげ、3戦目にしてバンナとの対決を迎えた。
1R、バンナはサウスポーの定石通り右へ先回りして動き、セフォーの左回りを阻止。体格差を利して圧力をかけ、前へ出てくるバンナをセフォーはローでけん制する。
しかし、ローを空振りして1回転してしまったセフォーの隙を見逃さず、バンナは右フックから一気に近付いて左右フックを叩き込み、左フックでダウンを奪う。
すぐに立ち上がったセフォー。再びローを蹴って距離を取ろうとするが、バンナがグイグイ近寄ってくる。そして最初にダウンを奪った時と同じようにバンナが右足で踏み込みながらの右フックで飛び込んできた瞬間、セフォーが右フックを合わせる。この一撃が見事にカウンターで決まり、バンナは座り込むようにしてダウン。身体が伸びて立ち上がることができず、1R1分31秒、セフォーの逆転KO勝ちとなった。
バンナは前戦のスミス戦で負ったスネの怪我を手術するために欠場が発表されたが、一転して出場。そのため調整不足は明らかだった。一方、セフォーのフックはこの一撃から“ブーメランフック”と呼ばれるようになり、人気選手となっていく。