日本人が強くあってほしい

――52試合戦ってきましたけども、今振り返って1番思い出に残ってる試合をあげるとしたら?
「いや、ないよ。やっぱ10代の頃には10代の厳しさがあったし、20代は20代の頃の厳しさがあったし、30代、40代、指導者になったりとか。その場、その場で支えられてるものだったり、支えてるものの状況が違うのでね、この試合が1番いいっていうのはないですし。だから本当に、今日は今日の試合が1番いいと思ってるし。どの試合っていうのはないですけどね。本当どれもいい思い出でした。自分は選手としてエリートでなかったし、勝ったり負けたりの選手だったけども、こうやって日本のメジャー団体に色々いくつか出させてもらって、RIZINも含めてUFCだったりとかで、本当にそれぞれがいい思い出だったし、それぞれがいい記憶に残ってるし。どれもいい思い出でしたね」
――スタジアムバージョンのさいたまスーパーリーナで引退できたっていうのは何か?
「これは申し訳ないですけど、ゴールドジム大森でも新宿FACEでもスーパーアリーナでも戦ってる時はそんなに意識するもんではないので。あとあと見て振り返ってみれば、KIDさんと2009年にやった時もスタジアムバージョンでしたけども、そん時も別にたくさんの人に見てもらったから、ゴールデンタイムでやったからとかどうこうはなかったんで。いつか振り返った時に、ああ、こんな人いたなっていうのを、映像で改めて見ると思うのかなって感じがしますね」

――これから格闘技界にこうなって欲しいってことってありますか?
「やっぱ世界一であってほしい。これは変わらないことだし、UFCでまだね、日本人がベルトを巻けてないっていうのが現状だと思うし。今自分が戦ってきたフェザー級のRIZINの中で見てもトップは外国人だし、日本人が強くあってほしい。この気持ちは変わらないかなと思いますね。だから自分は離れてしまいますけど、ライバルだったものがね、いつか手を組んで一緒に練習したりとかそうやって手助けできることも、いつかは来るかもしれないのでね。
その時は自分のキャリアで得たものをそういう人たちに伝えられればいいと思うし。J-MMAが、RIZINが本当にトップであって欲しいっていう願望は自分は変わらないので。そのためにはUFCでね、日本人選手が、RIZINに出てた朝倉海選手とかね、そういう選手たちがベルトを巻けることが一番いいのかなっていうのは、遠くから今度は見守ってたいなと思います」
「やっぱり気持ちが強いですね。1R自分も追っかけるつもりなかったですけど、YA-MANは1R結構疲れてたし、2R目で勝負しようかなと思って自分も2R目、追っかけすぎてしまって、YA-MANもへばっていたんですけどね。3R目に自分が先に心折れてしまった。これはもうYA-MANの気持ちだと。本当に試合で強い選手だなって思いました。本当にいい男でした」
――見届けるといった所選手に何か伝えたいことは?
「彼に何言っても、頑固おやじなんでね、何言ってもダメだと思うんで、本当に最後満足するまでやり続けて欲しいなと思うんですけども。そこは僕がストップをかけながら、でも彼には彼の人生があるし、僕には僕の人生があるし、最後納得いくまで、多分満足行くことはないと思いますけど、納得するまでやるならやり続けてほしいし、自分も最後まで面倒見るつもりではいます」

――RIZINという舞台で、自分の最後の試合を終えられたことに対してはどんな思いが?
「間違いなく今日本の格闘技界で一番盛り上がってるのはRIIZNだし。自分はいろんな団体を渡り歩いていろんなことを経験して、今の時代も含めてね、SNSだったりとかも含めていろんなことを体感したり、いろんなものを経験させてもらったんですけども、やっぱ今のこの熱量っていうのは特別だと思うし。その中でも中心にいれたことは、自分が最後頑張れた、自分自身褒めてあげたいなと思うし。
このままね、ブームとしてMMAを終わりにして欲しくないしね。そのためにはUFCだったり世界で勝てる選手、日本人がもっと育って欲しいなっていう思いは変わらないんでね。いろんな見方だったり、いろんな見られ方ってのもあると思いますけども、やっぱ格闘技やってる以上は強さが全てが正義だと思うんで、そこはぶれずに皆さん頑張って欲しいなっていうのは思います」



