「あの試合は僕が勝った。疑問の余地はない。だが、ここに来る前から、もしこの試合が判定になったら、僕は勝てないと思っていた」「あれはボクシング界の恥だ。彼らは正当なジャッジをする責任がある」──フランシス・ガヌーが、タイソン・フューリー戦後の会見とSNSで、スプリット判定で敗れたことへの不満を明かし、真の勝者は自分だと語った。
「元UFC世界王者だが、ボクシングは素人。それが短時間のトレーニングで世界王者を追い詰めた」──こう報道された、WBC世界ヘビー級王者タイソン・フューリー(35=英国)と、元UFC世界ヘビー級王者フランシス・ガヌー(36=カメルーン)のボクシングマッチ。
しかし、ガヌーはボクシングにおいても決して「素人」ではなく、「僕はMMAを始める前からボクシングをやっていた。ボクシングからMMAに転向し、時間をかけて自分のボクシングをMMAへアジャストする必要があった」と語っている。その背景には、ガヌーのここまでの軌跡を知る必要がある。
カメルーン・バティエ村の貧しい家庭に生まれたガヌーは、家計を助けるためほとんど学校に行かず、9歳から1日2ドルの日当で危険が伴う砂の採取場で働き生計を立てると、22歳の時に、地元でボクシングトレーニングを開始。病気により1年ほどで止めているが、5年後の27歳で一旗揚げようとフランスに渡り、ボクシングを再開している。
その5年の旅路で、生死の間を彷徨った。
2012年4月にカメルーンを出たガヌー。3,000マイルの道のりをブローカーの車両と徒歩で、ナイジェリア、ニジェール、アルジェリアを通り、飢えと渇きのなか危険なサハラ砂漠を越えてモロッコに到着した。
自伝によれば、「森に隠れ、プラスチックの廃材で雨風をしのぎ、ゴミ箱を漁って食料を手に入れる」も幾度もスペインへの国境超えに失敗。
2013年3月、7度目の挑戦で、モロッコとスペインを隔てるジブラルタル海峡の越境に成功。2カ月後に難民として認められ収容センターから解放され、2013年6月にフランスのパリに到着している。カメルーンから、実に4800kmの旅路だった。
パリでは路上のホームレスとして生活し、ボクシングジムと交渉し、無料でトレーニングを始めるが、ジムが閉まる週末も練習できる場所を探し、「MMAファクトリー」に足を踏み入れた。
オーナーのフェルナンド・ロペス(※元カメルーンのMMAファイターで修斗ベルギー大会にも出場)がガヌーの素質を見込み、ガヌーにジムで寝泊まりすることを許可。2013年から2018年までロペスの下でトレーニングを積んだガヌーは、その後、現在もコーチを務めるエリック・ニックシックがいる米国ラスベガスのエクストリーム・クートゥアーに移籍している。
29歳の誕生日にUFCと契約し、2021年3月の『UFC 260』で、34歳にしてヘビー級王者のスティーペ・ミオシッチから王座奪取。そして、今回37歳でWBC王者のタイソン・フューリーとボクシングで戦った。