シュートボクシング初期の選手であり、指導者としても活躍した力炎館の力忠勝(りき・ただかつ)館長の死去をシュートボクシング協会が発表した。
力館長は2024年7月に胆管癌を手術。その後、食道と十二指腸の間に転移が見つかり、12月6日に入院。2025年2月1日に帰らぬ人となった。
【写真】全日本SB協会発足の記者会見、中央がシーザー会長、左が力館長。旗揚げ時のメンバーたち 力館長はプロ空手の選手として活動後、SB創始者であるシーザー武志会長の誘いでSB協会の創設から参加。1985年9月1日、後楽園ホールで開催された旗揚げ戦の記念すべきメインイベントで2人は対戦している。
その後もシーザー会長のライバルとして君臨し、当時はまだ選手層が薄かったこともあって2人は5度も対戦している。特に1986年11月のホーク級(現在のスーパーミドル級)リーグ戦最終戦として行われた初代ホーク級王座決定戦(SB初のタイトルマッチ)、1987年7月のホーク級王座初防衛戦は旗揚げ戦での対決と並ぶSBのメモリアルマッチだと言えよう。
【写真】ヒール的なキャラで、トリッキーな相手を惑わせる動きが晩年は持ち味だった 1988年7月の最後の試合まで選手としてリングに上がりながら、力炎館の館長として後進の育成にも尽力。第3代SB日本スーパーバンタム級王者・大池龍二を育て上げた。
【写真】SB黎明期に合計5度も対戦した2人 シーザー会長はSB公式サイトにて「この度は、力忠勝氏の御逝去の報に接し謹んでお悔やみ申し上げます。
力さんは、私が格闘技の世界に足を踏み入れた時からの盟友で、シュートボクシング協会を旗揚げする際にも創設メンバーとして私を支えてくれた大事な同志です。
沢山の苦難がありましたが、シュートボクシングを世の中に広めるため共に必死になって汗を流したことが昨日の様に思い出されます。
選手として拳を交えるだけではなく、お互いに後進の育成に努めアマチュアからプロで活躍するシュートボクサーを輩出するに至るまで、共に切磋琢磨しながら今年40周年を迎えるシュートボクシング協会の礎を築いてくれたことは忘れません。
力さん、安らかに」との追悼コメントを寄せた。