その風貌と鋼鉄のような肉体からサイボーグやターミネーターと呼ばれることもあったロブ・カーマン
プロキックボクサーのロブ・カーマン(オランダ)が2024年3月31日に亡くなった。家族のInstagramにて公表された。63歳だった。
カーマンは19歳でオランダの名門ジムだったメジロジムに入門。キックボクサーとして頭角を現し、WKAフルコンタクト世界ミドル級王座など多くのタイトルを獲得。“欧州の帝王”としてその名前はインターネットがない時代に雑誌を通じて日本の格闘技ファンにも知れ渡り、1987年11月、全日本キックボクシング連盟に待望の初来日。
【写真】全日本キックの日本武道館大会メインイベントで、知名度のあったニールセンをKO
1989年9月には全日本キックの日本武道館大会でメインイベントを務め、知名度のあったドン・中矢・ニールセンをKO撃破。1990年9月の日本武道館大会でもメインイベントを務めるなど、低迷期にあった日本のキックボクシング界を盛り上げ、格闘技ブームの一翼を担った。
チャンプア・ゲッソンリットやピーター・スミットらライバルたちとの戦いはもとより、全日本キックが「いつでも戦う」とUWFの前田日明と高田延彦に挑戦状を叩きつけ、そのデモンストレーションとして一度だけプロレスラーと異種格闘技戦を行ったこともある。
また、前田日明が旗揚げしたリングスにも参戦し、角田信朗や佐竹雅昭を相手に高度なテクニックを見せつけた。キャリア晩年にはK-1にも参戦し、当初は苦戦したが1995年1月にフランスで開催されたK-2グランプリ(K-1の中量級部門)では優勝を遂げている。
「対角線のコンビネーション」と命名されたオランダ式コンビネーションを世に広め、左フックとローキックを得意としてKOを量産。特にローキックでは“ミスター・ローキック”と海外では呼ばれている。
1999年10月24日に引退。97勝(77KO)12敗1分2無効試合の生涯戦績を残した。現役引退後はアメリカでMMA選手のトレーナーも務め、ブランドン・ヴェラ、ジェイソン・ミラーらを指導した。