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インタビュー

【RIZIN】サトシが捧げたトロフィー~日系ブラジリアンに柔術の道を開いた坂本健氏とボンサイ柔術の絆

2019/08/01 00:08
【RIZIN】サトシが捧げたトロフィー~日系ブラジリアンに柔術の道を開いた坂本健氏とボンサイ柔術の絆

(C)RIZIN FF

2019年7月28日、『RIZIN.17』さいたまスーパーアリーナ大会・第5試合で、ホベルト・サトシ・ソウザ(ブラジル/ボンサイ柔術) と元UFCファイターの廣田瑞人(CAVE)が71kg契約で対戦。1R3分05秒、サトシが右ロングフックで廣田にTKO勝利し、4月の北岡悟戦に続くRIZIN2勝目をマーク、MMA戦績を9戦無敗とした。

試合後、サトシはトロフィーを手に、「ごめん。今日はちょっと難しい話がある」と前置きした上で「ほんとうに有難い人はいっぱいいる。私のチーム、私の家族……」と個人的な想いをマイクで語り始めた。

続けてサトシが呼び掛けたのは、浜松でソウザ兄弟とともにボンサイ柔術の日本支部起ち上げに尽力した人物の名前だった。

「今日のこのトロフィーは一人ね、一人にあげたい。サカモト・ケン(客席を見回して)、サカモト・ケン! いつも私を手伝ってくれて本当にありがとう。ごめんね、1カ月前、あなたのお母さん亡くなったね。だから、今日(のために)、たくさん練習してきた。お願い、お母さんに(トロフィーを)持っていって」

坂本健──2004年にサトシの兄、長兄のマウリシオが来日してから15年間、ブルテリア代表として柔術衣などを制作・販売しながらソウザ兄弟とともにブルテリア格闘技ジムの運営、ボンサイ柔術を支援してきた人物。その坂本氏の亡くなった母に、サトシはトロフィーを捧げたい、と言っていた。

パウリスタ(サンパウロ柔術選手権)で5度の優勝を誇るマウリシオが来日した当初、朝の8時から夜の8時まで、日系ブラジリアンの多い浜松の工場で働き、その後、夜9時から12時頃まで、指導や練習で道場で過ごすという日々が続いていた。

【写真】2008年、ブルテリア格闘技ジムの開設で兄弟3人でペンキ塗り。サトシはまだ19歳になったばかりだった。

その後、次男のマルキーニョスが来日。三男のサトシが兄たちを追うように日本に来たのは2007年のこと。当時、坂本氏はサトシを「紫帯ながらルーカス・レプリやコブリーニャ、メンデス兄弟の向こうを張る将来の黒帯世界王者候補」と高く評価していた。

それでも兄たちが道場運営に専念できるようになっても、来日当初のサトシは工場で働きながら練習や指導をするという状況だった。日本にさまざまな黒帯がいるなか、坂本氏が「確かな実力と技術、内面的にも信頼できる人柄」と感じたマウリシオを筆頭に、ソウザ兄弟たちは週末に数多くの柔術大会に積極的に出場し、名を広めていく。

まだ浜松でもブラジリアンたちと日本人の間で溝が深かった時代に、行政が動く以前に、真の意味で両者の草の根の交流を柔術を通して行ってきたのが、坂本健氏やカルロス・トヨタらとハードコンバットを牽引してきた亡き服部啓氏だった。その後のリーマン・ショックを受けた経済危機における日系人失業者を対象とした「帰国支援」という名の再入国禁止問題など、困難な期間も彼らの絆は途切れることがなかった。

試合後、サトシはリング上でのマイクについて、「どこへ行っても、僕が試合をすると坂本さんのお母さんも一緒に来ていて、あまり話をしないけどいつもいる。坂本さんのお母さんは、いつも坂本さんを支援していたから、ブルテリアを始められたのも、今、坂本さんが僕を助けてくれているのも、坂本さんのお母さんが坂本さんを助けていたからだと思っています」と、その胸の内を語っている。

試合後、坂本健氏にもサトシとの軌跡を聞くと、家族ぐるみで心を通わせてきたボンサイファミリーと坂本家の姿が見えてきた。サトシの言葉とともに、紹介したい。

坂本健「サトシとマルキーニョスをずっと見てきて、この素晴らしい才能と魅力のある二人を、地方に埋もれたままにしておいてはいけないと思い続けていました」

【写真】RIZINの試合の翌日からジムに戻り練習に参加したサトシ

──サトシ選手が元UFCの廣田選手にTKO勝ちしてマイクを持って、坂本さんの名前を呼んだこと、お母さまに捧げる、と言ったことをどんな気持ちで聞いていましたか。

「サトシがマイクで『このトロフィーは一人の人にあげたい』と言った時、『誰だろう、えっ、もしかして』という気持ちは一瞬だけよぎりました。でもまさか、本当にこの大舞台で自分の名前を呼ばれるとは思わず、固まってしまいました。

母(坂本正子)は昨年秋に癌が発覚し、第4ステージの末期癌と宣告をうけました。それでも母は非常に前向きに生きようという気持ちに溢れていました。入院生活で70数回にわたる抗がん剤治療を耐え抜き昨年末に無事退院しました。私の関係する格闘技の試合を観るのが非常に好きで、親孝行にと国内で行われたサトシやマルキーニョス、クレベル・コイケの試合だけでなく、中国でのREALのタイトルマッチも連れて行ってあげました。母は3人の大ファンでした」

──それはよい親孝行だったと思います。サトシ選手も「いつも試合を見に来てくれた」と振り返っていました。

「はい。4月21日のサトシのRIZINデビューが決まった時も、すぐに連れていく約束をしました。ずっと楽しみにしてくれていて、自分はそれが少しでも生きる力になればと思っていました。サトシ達はいつも母のことを気にかけてくれて4月21日の『RIZIN.15』でも、サトシは勝利後、浜松に帰る前に横浜アリーナの観客席にいる母にこっそり会いに来てくれたんです。その後、母は様態が急変し緊急入院し、6月16日にこの世を去りました」

【写真】中国でのREALタイトルマッチ後の記念写真。左から3人目が坂本健氏の母・正子さん。

──……ボンサイ柔術のみんなで見送ったそうですね。

「サトシ、マルキーニョス、クレベルはお通夜だけでなくお葬式にも来てくれて、お葬式での自分の母への手紙に涙してくれて、お見送りではみんなで母の棺を運んでくれました。だから、サトシのマイクの時に、これまでのすべての思い出がよぎり、サトシの思いに心を打たれて、恥ずかしながら泣いてしまいました。その後、サトシから受け取ったトロフィーは母の仏壇に飾らせて頂きました」

──以前、坂本さんが「誰にでもいいところや合わないところはある。それぞれの性格や習慣を理解し、付き合うことはどの国の人でも変わらない」と仰っていた言葉を思い出します。日本の慣習のなかにいない彼らが、そうして集まったことに、坂本さんとお母さまと、彼らの交流がどのようなものであったかが現れていると思います。たしか、サトシは兄弟のなかで一番最後に来日しましたよね。

【写真】2008年のボンサイ3兄弟。左からマルキーニョス、サトシ、マウリシオ

「そうですね。サトシが初めて日本に来たときはまだ18歳で子供っぽくてあどけなさも残り、柔術も紫帯でした。最初に長男のマウリシオが2004年に来日し、ボンサイ柔術ジャパンの立ち上げに協力しました。その後2005年に次男のマルキーニョスが来るのですが、当時、柔術の世界選手権と匹敵するくらいのレベルと言われていたブラジル選手権を制していて、来日する前からすごい才能を持っているという話でした。実際に来てみると噂に違わぬ実力で、もはや日本国内の大会では無双状態でした。

その後、2007年にサトシが初来日することになるのですが、マルキーニョスに匹敵するすごい才能を持っているという触れ込みでした。そうは言ってもまだ18歳で紫帯だから、とタカをくくっていたのですが、道場にいたメンバーが帯色、体格に関わらず茶帯、黒帯までいいように遊ばれてやられてしまいました(笑)」

──2008年でしたか。新たにブルテリア格闘技ジムが出来たときに取材にお伺いしたら、3兄弟みんなでペンキを塗っていて道場を手作りしていて、その後にバランスボールで遊ぶように練習を始めた姿が印象的でした。

「サトシはとにかく練習が好きで、試合があっても翌日から練習するくらい、ほとんど練習を休むことがないんです。実際に前回、今回の『RIZIN』の試合の後も、その足で浜松まで戻ってきて、翌日にジムで指導と練習をしていました。サトシの強さの秘密はポテンシャルもさることながら、たゆまぬ努力のたまものだと思っています」

──あのあどけなかったサトシの表情に、最近、落ち着きと強い意志を感じるようになりました。

「ジムが軌道に乗り、長男のマウリシオが帰国してからも、自分はサトシとマルキーニョスをずっと見てきて、この素晴らしい才能と魅力のある二人を、浜松という地方に埋もれたままにしておいてはいけないという思いをずっと持っていました。もちろん柔術界では世界的に有名ではありますが、二人の魅力を柔術界だけでなく、もっと多くの日本中の人々にも知ってほしいと思い、働きかけてきました。今ようやくその日が訪れました。そして、これから彼らの突き進んでいく姿を一ファンとして見守っていきたいと思います」

【写真】サトシの練習を見守る坂本健氏

【試合展開】

▼第5試合 RIZIN MMAルール 5分3R(71.0kg)※ヒジなし
○ホベルト・サトシ・ソウザ(70.85kg/ブラジル/ボンサイ柔術)
[1R 3分05秒 TKO]※右ロングフック→鉄槌連打
×廣田瑞人(70.95kg/CAVE)

廣田は元DEEPライト級、元SRCライト級、元CAGE FORCEライト級王者で、元UFCファイター。相撲の経験とインターハイにも2度出場したボクシングテクニックで、菊野克紀、今成正和、北岡悟、石田光洋といった国内トップファイターたちから勝利を奪ってきた。日本での試合は2015年9月、UFCでの石原夜叉坊戦以来となる。

対するサトシは4月の『RIZIN.15』で北岡悟をTKOに下した柔術家で、ブラジリアン柔術世界選手権2006、2009、2010を制している。MMA戦績は8戦全勝無敗。豊橋ARESジムへの出稽古で打撃も磨いている。

1R、ともにオーソドックス構え。対峙するとサトシの長身が際立つ。左ハイで牽制してから低い高速のダブルレッグテイクダウンはサトシ。左手でヒザを後方に押して超えるとハーフから左で首を抱え廣田に背中を着かせると細かいが強めのパウンドを側頭部に連打で当てる。

左肩で廣田の顎を押し、左手を枕に右脇は差し切れずにクラッチするサトシは、「アクション」の声に上体を立てると、そこで廣田も上体を立ててダブルアンダーで両脇を差して足はフックガードに戻す。サトシの上体の離し際に下から蹴り上げる廣田。立つサトシにブレークがかかる。

スタンド再開。左フックから右ハイを放つサトシ。下がってかわす廣田にダブルレッグへ。差し上げる廣田。離れてコーナーに詰まるサトシだが、遠間から右のロングフック! そこに左を合わせにいく廣田だが空振り。さらにオーソに戻し右フックをもう一度打つサトシ。右を合わせにいくも先にもらった廣田は後方にダウン! すぐにサイドに滑り込んだサトシは鉄槌を4連打し、試合を決めた。

試合後、サトシはトロフィーを手に日本語で「皆さん、元気ですか。ごめん。今日はちょっと難しい話がある。ほんとうに有難い人はいっぱいいる。私のチーム、私の家族……。けど、今日のこのトロフィーは、一人ね、一人にあげたい。坂本健(ブルテリア・ボンサイ代表)、坂本健! いつも私を手伝ってくれて本当にありがとう。ごめんね、1カ月前、あなたのお母さん亡くなったね。だから、今日(のために)、たくさん練習して、お願い、お母さんに持っていって。ごめんね、今日もまた柔術、ちょっとだけね(笑)。でも、次からもっと柔術使いたい。絶対にみんなに見せたい。UFCじゃない、ここRIZINだよ!」と絶叫した。

サトシ「UFCは関係ない。私はRIZINだから」

──試合を終えた率直な感想をお願いします。

「本当にこの試合で練習した、たくさん柔術を使おうと思ったけど、でもパンチが当たったから、本当に良かったね」

──廣田選手の印象は?

「本当に試合の前は、私ちょっと怖くて。彼はスタミナがすごい。1Rから3Rまで諦めないから、極めることは難しいので、とても心配でしたが、わからないのですが、最初で決まってKOで勝ったから、(印象は)難しいね。ちょっと早かったから、よくわからない」

──パンチが得意な廣田選手に打撃で勝ったことが驚きでした。ご自身では?

「ARESでたくさん打撃の練習をしました。彼は打撃が強く、投げのディフェンスも強いから、投げに行くことだけは絶対できないから、打撃もたくさん練習した。私の打撃はまだみんな信じないけれど、でも本当にたくさん練習してる」

──MMAでこの階級で、トップファイターとやっていけるという自信を感じましたか?

「そうですね、もう、みんな66kgがいいと言うけど、私は体重を少しだけ落として、みんなは15kgくらい落としているけど、私は8kgだけ。私の階級、70kgのライト級には『ああ、この人は強い、この人には勝てない』というのはいないから、ライト級でそのまま(いこうと思う)」

──印象的な試合で、今日もKO勝利で、サトシといえばKOのイメージもついたと思いますが、どう思いますか?

「もちろん自分は寝技だけではなく打撃も強いと思っています。どんな選手でも、バーリトゥードをやっていて、RIZINのように大きな舞台に出る選手は一つのことだけをやっていてもダメで、寝技だけでなく打撃もできなくてはいけません。今はそういう時代です」

──10月のライト級GPに名前が挙がると思いますが怪我などは? 出場の可能性は?

「まだトーナメントについては考えてはいないです。少し休みたいし、運よく上がってきたと思われたくないです。手を少し負傷しましたが、1週間くらいで治るものだと思います」

──試合後にブルテリアの坂本健さんのお母さんにトロフィーを捧げるという発言をしていましたが、お母さんが亡くなられたのはいつ頃だったのですか?

「正しい日付はわからないけど、だいたい1カ月前くらいに……」

──トロフィーを捧げたかったのは、坂本さんのお母さんにもお世話になったのですか?

「どこへ行っても、試合をすると坂本さんのお母さんも一緒に来ていて、あまり話をしないけどいつもいる。坂本さんのお母さんは、いつも坂本さんを支援していたから、ブルテリアを始めるのも、今、坂本さんが僕を助けてくれているのは、坂本さんのお母さんが、坂本さんを助けていたからだと思っています」

──試合後に「UFCじゃない、ここはRIZINだよ」と言った気持ちは?

「本当に試合の前は、みんなから『あなたの相手は強いよ、UFCに出ていた選手だ』とばかり言ったけど、UFCは関係ない。私はRIZINだから。RIZINが強いんだから」

 

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