1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。13回目は1994年5月29日に国立オリンピック記念青少年総合センターで開催された『第8回全日本女子レスリング選手権大会』に、3年ぶりの出場を果たした山本美憂。
(写真)粘る遠藤の右腕をつかんで上体を傾ける 神はひとりの少女に“美”と“力”の両方を与えた――と形容された1991年の第3回世界選手権47kg級優勝の“美憂フィーバー”から3年。当時17歳だった天才少女が、ちょっぴり大人のムードを漂わせ、そして何より強さと逞しさをグンと増して帰ってきた。
「夢はオリンピックの金メダル。将来はスポーツキャスターになりたい」
(写真)相手の肩を90度以上傾けて2ポイント奪取 1991年秋、小さな胸に大きな希望を抱いて米国留学に出発した山本だが、環境・習慣の違いが影響したのか、翌年・翌々年と2年続けて全日本選手権をエントリーしながらも欠場。さらに前年11月、復活を期した全日本オープンでは階級を50kgに上げて決勝で遠藤美子と対戦し、残り30秒で逆転負けを喫してしまった。世界3位の遠藤が相手とはいえ、国内で山本が敗れたのは実に7年ぶり。
(写真)遠藤の強烈なアンクルホールドに場外逃避であわや失格に「負けたことが頭から離れなかった」というほど悔しい思いをした山本が、自らを崖っぷちに追い込んで臨んだ今大会1回戦の相手は因縁の遠藤だ。懐が深く受けの上手い遠藤に、山本はなかなか下に入れずに消極性を取られてパーテールポジション。これを凌いで右足に片足タックルからバックに回り1ポイント。続けてマットから90度以上相手を傾けて2ポイントを連取した。
(写真)1991年以来の全日本選手権優勝を飾った山本(写真)「美憂はやっと20歳。強さが安定する時期」と、コーチである父の郁栄氏 だが、逆にバックに回られアンクルホールドに決められてヒヤリ。場外逃避でポイントを奪われ1点差に。残り時間が少なくなる。勝利の女神は、今度ばかりは山本に微笑んだ。
1回戦で最強のライバルを降した山本は、2回戦で1分3秒、準決勝は1分19秒、決勝は1分7秒でフォール勝ちと圧倒的な強さを見せ、3年ぶりの全日本選手権で優勝。通算6度目の全日本選手権優勝を果たした。(写真)前年の初出場では1回戦敗退した妹の聖子は44kg級で3位に入賞した